日蓮宗正興山勝立寺

日蓮宗とは

日蓮宗

日蓮宗はお釈迦さまの説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です。
 
この法華経を身をもって読まれ不況をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります。
 
本宗の教義は法華経の魂をお題目にこめられた宗祖の教えに導かれて私たちが信仰に励みこの教えを弘めることによってやがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人のしあわせにつながる事を確信できる教えであります。 
 

日蓮宗
 

法華経信仰

現在、日蓮宗といえば、直接的には日蓮聖人の墓地のある身延山を信仰の中心とする日蓮宗を指していますが、世間一般には、日蓮聖人を宗祖と仰ぐ各派を広い意味ですべて日蓮宗であると言っても過言ではありません。
 
そして、さらに言えばほとんどの人は法華経信仰=日蓮宗とういう受け止め方をしていると言っても誤りとはいえないでしょう。
 
法華経の信仰を語るには、こうした観点からみる必要があります。
 
というのは、第一に日蓮聖人が、いわば鎌倉新仏教最後の祖師であるからです。
 

日蓮上人

信仰の分岐点

日蓮聖人が法華経のお題目(南無妙法蓮華経)信仰こそ、末代の人々の救いの教えであることを明らかにされたことによって、日本仏教は大きく二つに分類されたのです。

つまり南無妙法蓮華経のお題目を信じるか、南無阿弥陀仏の念仏を信じるかの二つの流れとして、その後の日本仏教の状況を形づくることになったわけです。念仏信仰を拒否して南無妙法蓮華経のお題目を強烈に主張した日蓮宗は、諸宗と比べると特異の存在となったのです。

法華経は、もともと釈尊の教えとして結集された経典で、主にインド・日本・中国に広められてきたものです。このようなお題目信仰の大衆への広まりは、日蓮宗の存在なくしてはあり得なかったわけで、法華経信仰=お題目信仰=日蓮宗と、一般的に印象づけられて今日に至っていると言えるでしょう。
 

日蓮上人

日蓮上人

日蓮聖人の生きておられた鎌倉時代は末法の時代であると言われております。末法とはお釈迦様が亡くなってかなりの年月がたってしまったことで、その教えである仏教が正しく理解されず悪い教えが広まって人々を苦しめ、社会を混沌とさせていた時代のことです。

人間はなぜ生きているのか、そしてなぜ死ぬのか。地震や災害で苦しみ、自ら戦争を起こしまた苦しんでいる。そんな人々を見て日蓮聖人は疑問を抱き、仏教の経典を全て読みました。
 
その結果、お釈迦様が悟った真理は、法華経・妙法蓮華経に述べられていると確信しました。法華経には、お釈迦様が遠い昔から未来までずっと存在しており、永遠にあらゆるものを救い続ける、特に混沌とした末法の時代に人々を救うことが説かれています。

日蓮聖人は、末法の時代の人々を救う法華経を広めるのは自分しかいないと自覚しました。(立経開宗)法華経を受持、読、誦、解説、書写することでそれを現実のものに出来ると心に誓いました。

日蓮上人

立正安国論

その後、日蓮聖人は『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』で人と社会の幸せを鎌倉幕府に訴えたあと、たくさんの妨害にあったのですが、信者であった甲斐の国の地頭・南部実長の招きにより、文永11年(1274)5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。

日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、弘安4年(1281)11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、「身延山久遠寺(くおんじ)」と命名されました。現在の日蓮宗総本山です。

法華経の行者(ほけきょうのぎょうじゃ)立正安国論として生き通した日蓮聖人は、弘安5年(1282)、数え年61歳で亡くなった後も、末法唱導師(まっぽうしょうどうし)と呼ばれ、お祖師(そし)さまと慕われて、いまでも人々を法華経の信仰に導いています。その流れを正しく汲んでいるのが、日蓮宗です。

立正安国論
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